お遍路の意義
その昔のお遍路は、信仰に基づくものや、現世や来世のご利益のためのものがほとんどでした。現在のお遍路は、信仰心からだけでなく、何らかの願いや希望を抱いて始めるという人も多いと言われています。
「家内安全」「商売繁盛」「無病息災」「良縁成就」「子宝」といった祈願や、祖先や身近な者の「供養」などが多くなりますが、なかには、歩くことによって健康を維持したいと願う方や、歩き続けることによる自己鍛錬のためという方、現代病ともいえるストレスの解消や癒しを求めてという方、今までの人生を懺悔するためという方、生きる目標をみつけるためという方、自分探しのためという方など等、さまざまな理由があります。
皆それぞれに、結願へ向けてのいろいろな想いを抱えながらお遍路を始められるのだと思います。それぞれの想いや願いは、一番から八十八番までの巡拝で結願し、最後に高野山の奥の院を参拝することで大願成就します。
人間には百八つの煩悩があるといわれています。お遍路の霊場八十八ケ所を巡ることによって、その煩悩が消え願いがかなうといわれています。
また、お遍路は、弘法大師とともに四国の大自然の中を巡るなかで、煩悩を一つ一つ取り除いていきながら、心身ともに磨き自分自身を見つめ直す旅、修行の旅だとも言われています。
旅の途中で地元の人の「お接待」を受け、厚い心遣いに触れることで、お遍路の心は癒されていきます。
俗塵を離れ、自然の中で生かされていることを知り、人々の人情に感謝し、そうして生きる喜びを見出していきます。